中国の武漢で始まった新型コロナウイルスの感染は瞬く間にパンデミックとなり、7月27日現在で世界の感染者1626万人、死者64万人となり、日本でも感染者約3万2000人、死者1011人と1000人を超えた。
何故ここまで、世界中でコロナ感染が拡大したのか。世界で最も豊かな国のはずのアメリカでは最大数の罹患者と死者を出しており、その理由は国民全体をカバーする医療保障がないことと、著明な貧富の格差により、黒人層に多い経済的弱者が治療や予防を受けにくく、また対策も取りにくいことが挙げられている。
コロナ禍の中で、日本での梅雨の豪雨は九州を中心に多大な被害の爪痕を残した。地球温暖化で、北極・南極の氷が溶け、海水面が上昇するだけでなく、海水からの水蒸気は著増しており、雲となって、地球に降る雨量は以前の2倍にも3倍にもなると予想されている。世界中で自然災害は頻発し、惨禍は多大なものとなっている。
1980年から、日本では医療費亡国論などで病院のベッドの削減は進み、ベッドの回転は常に満床でギリギリの運営を迫られ、余裕のない弱体化したものとなった。同じことがイギリスでは鉄の女サッチャー首相の下で医療社会保障は削減され、イタリア、フランス、スペインでも医療保障は弱体化し、今回のコロナ禍で多大の犠牲者を出すこととなった。 新自由主義は企業が自由に活動でき、最大利潤を追及できるように、社会的規制をできるだけ少なくし、社会保障も医療保障もできるだけ少なくし、小さな政府を目指した。そのことで大企業は労働者の雇用に責任を持たず、使い捨ての派遣労働に依存することで巨大な利潤を挙げた。
一方社会保障を切り下げられ、社会の再分配機能を引き下げられた労働者、経済的弱者は消費に回す財力もなく、病気になっても医療や介護を受けることさえ、ままならない事態となっている。日本においては1990年代からの30年は「失われた30年」として、成長できず、人口の高齢化と少子化の中で経済縮小とデフレの道を進んでいる。
企業の経済的利潤の追求は環境保全に背を向け、世界の肺と呼ばれるアマゾンなどの熱帯雨林を伐採・開発し、環境破壊は著しい。アフリカ発のエイズやエボラ出血熱、SARS、ニパウイルス感染症、鳥インフルエンザ、ウエストナイル熱などの新たな感染症の出現頻度の高さは、人間の生態系への無秩序な進出と無縁ではないと多くの専門家が指摘している。野生生物の生息域の縮小などによって、人間と動物の距離が縮まり、動物が持っていたウイルスが人間に移ってくるというのである。
新型コロナの感染拡大と増大する自然災害は新自由主義という経済運営に一つの源泉を持つといえないだろうか。
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