私たちの人生は一生であり二生はない。だから毎日を真剣に生きなければならないのだと思う。私を含め多くの人は過ぎたことを悔やみ、将来のことを心配する。しかし、冷静になって考えればそれは一文の徳にもならないことをしているのである。過去を反省して次に生かすことは有用だが、いつまでもくよくよするのは時間の無駄である。どうなるか分からない将来のことをくよくよ悩むのも同じく時間の無駄である。迷ったときに肝心なのはどちらの道をとっても後悔しないことである。「過去は帰らず、未来知られず、ただ今のことをのみ思え」という言葉がある。その通りだと思う。人としての基本を外さずに、我意にのみ生きず他利に生きればよいのではないか。
本来人のために尽くし尊敬されるべき医者がしばしば批判的な報道に遭うのはなぜだろう。複数の要因があると思われるが、端的に言えば他利に生きていないからであろうと思う。その中の一つには経営を優先した考えがある。極端な例では患者を商品のように扱ったビジネス型医療、マスコミを利用した売り込み、効果が明らかでないサプリメントの販売などのようなものがある。
また、時には活学でない知識を盲信し、いつの間にか考え方が患者側から離れ、医者の身勝手な理屈で治療を進め、不信を招いたりはしていないか。ここで言う活学でない知識とはいわゆる座学である。聴講しただけで分かったような気になって、実際にそれを検証して自分のものにしていくという過程を経ずに行えば、患者に害をもたらすことも少なからずあるだろう。座学だけでは患者に十分な説明もできないはずである。
時には一生懸命やっても報われないこともあるだろう。そういうときには自分に問い直すのである。本当に患者のために頑張ったか?我意はなかったか?人に恥ずかしいことはしていないか?そしてその答えが全てノーならば胸を張ろう。くよくよしてもしょうがないと思うのである。
自分の趣味の時間を作ることはさまざまな効用があり有益である。創造的なもの、体を使うものが良い。特に自然に親しむことは、人生を考える上でも、心の癒やしにおいても有用である。中には有益でない趣味もあり取捨選択する必要があるので注意したい。
人と比較したがることは最大の人生の不幸である。自分という人間はこの世にたった一人しかいない。自分にある自分の特性を磨かずに人をうらやむなどということは人生において何の意味があろうか。人の活躍を見聞きしたら切磋琢磨して自分を磨くべきである。「わが人生一生研修医」と言った名医がいる。若くして他界された田坂佳千先生である。いまだ崇拝され、多くの田坂門下生が集まり、彼が作った「日本医療界のリーダーたちが顔を連ねるメーリングリスト」を維持運営している。死んだら地位も金も名誉も何も残らないが、このように人のために尽くし、多くの人の心に刻まれたその理念は脈々と生き続けるのである。これが理想の生き方ではなかろうか。
(理事 猪口 寛)
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